夜の散歩道 桃園緑道

夜の桃園緑道

5月も今日で終わりだ。もう半袖(そで)でいいくらい暑い。湿気もだんだん上がってきた。もうしばらくすると梅雨が来る。どうも自分は音楽ライブをやる時は結構雨男(あめおとこ)のような気がする。なんだかんだ言って先日のライブの夜も雨が多少降っていた。天気予報だと晴れるはずだったのにチェッカーボード(ライブバー)に行くのに歩いて行くのに差しさわりがないほどに小雨が降っていた。

このように私は月1回定期的にやっている音楽ライブに実は歩いて通っている。電車で1駅なのだが何せ散歩好きなので何十分間かかけて歩いて行くことにしていて、途中、通る道が桃園緑道(ももぞのりょくどう)と言われる散歩道だ。

緑道ということで道の左右にはいろいろな植物が植えてある。春には桜、夏はヒマワリ、秋はコスモス、そして冬はなんだろう?シクラメンが咲いてたり、まあ、そんな感じで日本であまり見ない木花もあったりして雑多な自然が感じられる散歩道となっている。

一番最初にこの桃園緑道を歩いた時に、この道の先がどこにつながっているのだろうかと思い終点まで行ってみようと歩いた先が、昔、中央線から眺めていた阿佐ヶ谷のケヤキプールのところだった。チェッカーボードはこのプールのもう少し阿佐ヶ谷寄りにある。

西の終点が阿佐ヶ谷ケヤキプールだったので、今度は東の終点を知りたいと思いある日曜日の早朝いつもと違う逆方向に向かって歩いてみた。環七の歩道橋を渡ってしばらく行くと八百屋さんみたいなお店があり、更に行くと道の舗装が変わって赤レンガになっている。そこからは中野区の管轄になっている。

更に歩くが道は一向に終わりがなく、これ以上歩くと家に戻れなくなるなと思い、道を外れて中野駅に出てブロードウエイ手前のマックでハンバーガーの朝食セットを食べて帰ってきた覚えがある。

その後、地図で調べると桃園緑道の東の終点はなんと渋谷にまで行ってるらしいのだが行ったことがない。いつかその終点まで歩きたいとは思っている。

このように私にとってこの緑道を歩くことは小さな冒険になっていて、散歩することで小さな発見をすることが楽しみなのである。先に地図で調べてから散歩のコースを決めることはまずない。チェッカーボードもこんな私の人生の散歩道の途中のひとつの道草でもあるのかもしれない。

上の画像は先日ライブに行く途中に夜の桃園緑道を撮ったものである。真っ暗に写っているが実際はこんなに暗くはない。しかし夜は人通りも少なく結構怖い感じだ。女の人一人では夜はたぶん歩けない道だが昼は様々な人が犬の散歩などしたりして行き交わっている。画像のもう少し先の左側には今、ちょうど季節なのかアジサイの花々が咲いていた。

あめあめ ふれふれ かあさんが
じゃのめで おむかい うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン  音楽配信

かわい子ちゃんのコールアンドレスポンス

定期的に音楽ライブをやっていますと、当然ワンマンライブでない限りいろいろな出演者の方とご一緒することになります。ほとんどお客さんを連れてくることができない私は出番はいつも最初でして、出演した後そうした他の出演者のみなさんの演奏をお客さんと一緒に聴くことになるわけです。

その日によって対バンになる出演者さんは違っていて、いろいろな人と出会うことにもなります。ライブ終了後の打ち上げ時に一緒にお酒を飲んで仲良くなり楽しんでいる方がほとんどなのでしょうけど、私は自分のお客さんがいない限りはトットと帰ってくるのですよね。

打ち上げで友達をつくり、次のライブに来てもらうというのも手だと思います。しかし私はすぐ帰って来ちゃうので、ほとんど知り合いになるということがありません。もう少し打ち上げのお酒の場に出てみればと忠告を受けたこともあります。いつも一人だけポツンと座っているので、何か浮いているように見えるのかもしれません。

そんな一匹狼(おおかみ)のような私ですが、他の出演者さんの演奏を聴いている時の態度は最低限のルールを守っていると思っていまして、曲が終わると必ず拍手することと、その日のライブの他の出演者さんの演奏がすべて終了するまで帰らないと心に決めています。たまにどうしても用件があったりなんかして脱け出さなければならない日もあったりなんかもしますが、できる限りお客さんがいないような日には自分がお客さんになってあげようと努めています。

ただ、その場を盛り上げるために手拍子を促(うなが)されたり簡単な踊りを強制されたりすると、お客さんが余りいない場合は付き合ってあげるのですが、お客さんが多いと自分がやらなくてもいいだろうと思いやらない場合もあります。どこかで冷めた目で観ているのかもしれませんが、基本的に強制されるものではないと考えていて、他人からとやかく言われる筋合いのものではないと思っています。

ところが先日、他の出演者さんの演奏で手拍子をとってあげたりして盛り上がったのですが、そのライブ終わりに”YUKIOさんいつもの態度と違う。いつもは拍手もしないのに、今日は積極的に手拍子もして~、歌っているのが、かわい子ちゃんだからでしょ!?”と言われてしまった。

男心にそういう下心は持って当然なのですが、その日はそんなつもりまったくなかったのに~!!確かにその日はかわい子ちゃんといえばかわい子ちゃんが歌っていたのですが、手拍子を催促されていつも通りに合いの手を入れていただけなのに、顔がニヤけてたのかな?

ショックなのが自分がいつも拍手もしない人間だと見られていたということです。最低限、必ず拍手はしてるのに~!顔が笑ってないからかな?つまらなそうな態度をとっているから?いろいろ考え込んでしまいました。

かわい子ちゃんだから特別に手拍子したわけじゃないよ。かわい子ちゃんを追いかけるのであればこんなライブバーで唄っていない。かわい子ちゃんに気に入られるために見向きもされない唄を何十年も唄い続けて来てない。

態度は悪いが、対バンの人の演奏にはせめて拍手はしてるし、自分のライブではなにか強制的な手拍子を求めたこともない。コールアンドレスポンスは仲間同士でやればいいので、私のような仲間がいない人間にはそれが奇異に映ってしまう。世の中どこに行っても浮いてしまうのです。音楽配信

歌詞は見ながら唄うものなのか?私の場合

今夜は阿佐ヶ谷チェッカーボードでライブだ。お近くでお時間ある人観に来ませんか?今回はライブで唄をうたう時に歌詞を見ながらうたうかどうかのお話をしたいと思います。

私は歌詞カードというものは無いのですが、歌詞を書き込んだノートを持っています。なぜかいつも使っているのは”CUMPUS”と表紙に描かれたキャンパスノートで、それを譜面台に載せて見ながら最近は唄ってます。

本当はそんな譜面台を立てて唄いたくないのですが、歌詞を覚えてない曲があったりなんかして仕方がなくやっています。本来、目を下に向けずに真っすぐ見つめて唄うのが一番見栄えもいいのでしょうが、なんとかならないものでしょうかね。最近、アメリカの大統領なんかがカンペを透き通った譜面台のようなものに載せてスピーチしているのを見かけたりしますが、ああいうのがあれば助かるのに。

そんな愚痴(ぐち)を言ってるより先に歌詞を覚えろという話なのですが、その通り!他人(ひと)のつくった歌詞ならまだしも自分がつくっている訳なので覚えるしかないのでしょうけど、すぐ覚えられる歌詞といくら暗記しようとしてもできない歌詞があるのですよ。シンプルな歌詞はやはりすぐ覚えられますが、いろいろ言葉を変えたりして飽きないように考えてある歌詞はなかなか覚えられない。

曲が何百もあるローリングストーンズのミックジャガーも英語でうたっているから気づかないだけで、たぶん結構歌詞間違えたりして誤魔化しながらうたっている気がする。

前に対バンで一緒になったラッパーさんにも歌詞カードを見ずにをよくそれだけうたえるね?全部覚えてるの?と訊いたことがあって、やっぱり彼も間違えたりもすると言っていた。

歌詞を見ずに唄うぞと決心したこともあったが長続きしなかった。といのも私が敬愛するスライストーン(ファンク音楽の有名な人)がライブで歌詞帳を見ながら唄っているのをユーチューブかなんかで観て、なんだオレと変わらないじゃないかと思ってしまってそれ以降無理に歌詞を頭につめこむのは止めにしてしまった。

よし!今夜は歌詞帳を持たずに行くぞ。1曲だけうる覚えの怪しげな曲があるけれど。大丈夫だ。やはりライブの見栄えも大事にしなきゃ。動画の時代だからね。音楽配信