高円寺ルネッサンス

東京阿佐ヶ谷のヴィオロンというクラシック喫茶に毎週土曜夕方通っていることは前にも述べましたが、実はもう1軒、隣街(となりまち)の高円寺にもクラシック音楽を聴かせる喫茶店があって、そこには大体、日曜日午後昼下がりに行くことが多い。

ルネッサンスの看板

その名もルネッサンス。ヴィオロンよりも先に知ったのはこちらのお店で、最初に入った時はこんなお店があったのかと驚いたものでした。ヴィオロンとも知り合いのようで、後で知ったのですが中野で「クラシック」という名の喫茶店だったのがオーナーの美作さんという方が亡くなられ、それで音響機材をそのまま移す形で高円寺に引っ越して来たらしく、その美作さんという方は画家でもあり、美作さんの描いた絵がヴィオロンにもルネッサンスにも所せましと飾られていて、ヴィオロンのマスターも元々は「クラシック」のお客さんだったと何かに書いてあったかと思います。

ヴィオロンは店内禁煙なのですが、ルネッサンスは喫煙可で中で結構タバコをスパスパ吸っている人がいっぱいいて空気が残念ながら悪くて、それでヴィオロンのようにいつも行かないだけで、禁煙であればたぶん毎週行ってます。愛煙家でクラシック音楽好きな方は一度行ってみるといいかもしれません。

肝心な音はヴィオロンとは微妙に違っていまして、ヴィオロンの方は大がかりな音響システムで高、中、低音バランスがよく取れているのですが、ルネッサンスの方は基本左、右のスピーカーだけで鳴らしていて(最近はスピーカーの数がなんだか増えてるような気がするが)、その音波が低い天井(てんじょう)づたいに圧縮されて横に流れてくるような感じで、ルネッサンスの音を聴いてはじめて音楽というのは音の波で形成されているのだと感じたほどなんともいえない味わいがあります。

ルネッサンス店内 一番奥、絵の下にスピーカーが置いてある

流している音楽の方もヴィオロンとは多少違っていて、ヴィオロンはバッハ、モーツァルト、ベートーベンの古典クラシックを中心にレコードをかけていますが、ルネッサンスの方は結構危ないクラシックと言おうか、ドビュッシーから現代音楽まであまり型にはまってないようなものも多くかかってます。

働いている女の子が二人いて、かけている音楽を聴いていると片方は古典王道クラシック、もう片方が現代音楽好きの趣向があるような気がします。実は1回だけこのお店でリクエストしたことがあって、その時はストラヴィンスキーの「春の祭典」をかけてもらいました。

クラシック音楽好きの人にとってみればルネッサンスももうみんな知ってるんでしょうけど、知らない方は一度行ってみるといいですよ。音だけとればルネッサンスの音にはヴィオロンと違う響きがあります。音楽配信

グールドの鼻唄

ピアニストのグールドについて私がどうのこうの言う資格はまったくないと思っているのだけど、単に1ファンとしてもう少し語りたい。

ほとんどどういう人なのか知らない。トシをとってからのあの背虫のような体形しかイメージになくて、ウエブで画像を検索してみると若い頃はずいぶん二枚目っぽい色男風な感じだ。

グールド演奏で最高に好きなところは、ピアノ演奏の後ろで必ずこの人鼻唄をうたっている。ウニャ、ウニャ。ウニャ、ウニャ。うねっている。ピアノを弾く前に唄っているのだよね。

上手い演奏家は世界中にいっぱいいる。私なんか足元にもおよばない。けどみんな演奏家なんだよな。音楽、特にピアノ演奏と数学は似ていると言う人が結構いるけれど、違うと思っている。音楽は理屈からは生まれない。

グールドはピアノ弾き語りシンガーなんだ。

ただ、そんじょそこらにいるピアノ弾き語りシンガーとは違う。バッハやベートーベンを弾きながらさりげなく唄っているけれど、これはそんな簡単にはできない。というか普通の常人には真似ることなどできっこない。その背景には半端じゃないピアノ運指のものすごい鍛錬が垣間見えて、そこにあるとてつもない厳しさが力のないウニャ、ウニャの鼻唄となって現れてくるところがなんだかとてもロマンチックなんだよな。

たぶん、私みたいななんの努力もしてこなかった人間がグールド音楽を語る資格なんかないのだろうけれど、1ファンとしてつい語ってしまった。グールドの鼻唄にはロマンを語るだけの価値はある。音楽配信

阿佐ヶ谷 喫茶店のグールド

毎週土曜夕方にコーヒーを飲みに行く名曲喫茶ヴィオロン。いつも行くと私と同じような常連客のような人が何人かいた。

入り口のすぐ右側のテーブルしか座らず、いつも調べものをしている感じの”先生”と呼ばれていた初老のおじいさんは最近はもう来ない。右スピーカーの前の席で前かがみに座ってスマホをみているおにいさんも最近見なくなった。大概のお客さんはスマホをいじくっているか本を読んでいるかである。以外に横文字の書物を読んでいる人も結構いたりする。

そんな中、最近めっきり来なくなったおじさんがいる。その人がお店にいるといつもグールド(クラシック音楽の有名なピアニスト)がかかるのだ。なんでそうなのかわからないのだが、たぶん最初にお店の人にグールドが好きだとかなんとか言ったんだと思うが、その人がリクエストした姿というのはあまり覚えがなくて、お店に入っていくとグールドがかかっていて、そうすると必ずスピーカーの前でその人が本を読んでいるのである。

最近、ヴィオロンに行くといつもバッハ、モーツァルト、ベートーベンの交響曲ばかりかかっていてどうも物足りない。なぜだろうと思ってふと考えたら、そうだ、グールドを聴いてない、グールドのピアノを聴きたいのに、なぜかからないんだろう?そうかあのグールドのおじさんが来なくなったから、かからないんだと思った次第である。

固いクールなピアノに必ず鼻唄が混じるグールドの演奏は、生っ粋のクラシック音楽ファンでもなんでもない私でも聴いたら一発でわかるほど個性的である。前にあるピアニストの人から聞いた話では、グールドの神髄はバッハの解釈にあるという。バッハの時代が余りに古すぎて、バッハ自身が当時どのように弾いていたか今となっては誰もわからず、しかも当時はピアノではなくハープシコードだったとのことで、そこにグールドが現代的なピアノ解釈をしたらしい。又聞きです。

グールドといえばバッハなのだが、意外にヴィオロンではベートーベンを弾いているグールドとかもかかったりして結構おもしろいなと思ったこともあったので、またグールドかけて欲しいのだが、、、あのグールドおじさんが来ないと駄目か?もう全然見かけないからな。阿佐ヶ谷駅のトイレでばったり会った時に挨拶でもしておけばよかった。

お店で、自分がグールドをリクエストすればいいだけの話なのだが

食事をしようセレナーデ

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