今 

本日も暑い日が続いております。いかがお過ごしでしょうか?ということで今回はまた新しく制作した動画についてお話をしようと思います。前回は”chu!chu!chu!(チュウ!チュウ!チュウ!)”という曲の動画についてでしたが、今回は”今”という曲についてです。ストリーミング配信をはじめた『月』という作品の中の6曲目です。

前にも述べましたが、この『月』という作品をストリーミング配信はじめたことで、中に入っている曲のプロモーションとして動画をなるべく制作しようと考えたのでした。その第一弾が”熱帯夜”という曲で、第二弾が”chu!chu!chu!”、そして今回の”今”が第三弾となります。

”熱帯夜”、”chu!chu!chu!”と試しにがんばって動画を作ってみたのですが、数字上の結果がほとんど得られず・・・(笑)、自暴自棄(じぼうじき)になっているようなところもあるのですが、あまり細かい事まで気にするとやってられないので、第三弾の”今”の動画も制作しちゃいました。(笑)動画を制作するノウハウなど何にもないのに作ってしまうというのは、やはり動画制作という行為自体が自分に合っているのかもしれません。なんだか制作していると楽しいのですよね。(笑)時間さえあれば自分の音楽を抜きにして、ずっとこうした動画の編集作業をしていてもいいかな?と思ったりもしたのでした。

ただし、楽しいと言うのと動画作品のクオリティーはまた別の問題で、クオリティーが低いのでみなさん誰も見てくれないのかもしれませんが、いや、それは動画に限ったことではなく、音楽だってそうなんだろうし、、、そうであれば自分の音楽はクオリティーが低いことになるな、、、ウム、この話は置いておいて、とにかく”今”という曲の動画を時間をかけずにパッと作ったのでした。(笑)まず、その経緯を話さなくてはなりません。

頭の中で朝起きる前に、歌詞に合わせる形で、動画全体がどう流れて行くかを大まかに設計し、具体的なカット割りを歌詞の横に入れて完成させた紙を持って、ロケ先となる善福寺公園に先週日曜日に出かけたのでした。

歌詞はボートに乗った主人公の妄想のような内容になっていて、どうしてもそうしたボートに乗るシチュエーション(状況、場面)が必要だったので、いつも唄っている井の頭公園のボートに乗って撮影しようかなと最初は考えたのですが、今、実は井の頭公園の池は工事中で貸しボートはやっていなくて、どこかで貸しボートをやっているところはないかと探したところ善福寺公園が見つかったのでした。

善福寺公園。

そう!あの善福寺公園。私が毎朝、死ぬほど、飽きもせず散歩した、私のホームタウン。私が大好きな善福寺公園に久しぶり行ける~!と思い、喜々(きき)として西荻窪に出かけたのであります。毎週のように井の頭公園で唄っている私ではありますが、正直、井の頭公園は人でいっぱいで、緑と一緒にくつろぎたい私は、一人でのんびりできる善福寺公園の方が全然いいのであります。

久しぶりの善福寺公園は、真夏の昼下がりのせいか相変わらず人がまばらで、何十年前、ここで我が家のインコの花ちゃんのお墓をアイス棒を突っ立ててつくったよなと思われる近くのベンチも残っていたりして、せっかくだしここで最初のカットを撮るか!と思い、安いカメラをバッグから取り出したのでした。(笑)

カット割りを考えた紙を参照して、公園内を巡り、いろいろと撮影した後、いよいよ善福寺公園のボートに乗り込んだのであります。実は善福寺公園のボートには、あれだけ毎朝、毎夕、周りを散歩していたにもかかわらず、実は乗ったことが無くて、(笑)今回初めてなのでした。

貸しボート乗り場には誰もいなくて、困ったのですが、波止場からやさしそうなお兄さんがやってきて、「オレ、ボートに乗ったこと無いんだけど、大丈夫かな?」と訊くと、「イヤ、そんな誰でもできますよ。」と言われ、簡単なレクチャーを受けて、一人で公園の真ん中の池にむかって漕ぎだしたのであります。ボートの中は炎天下でもう暑くて死にそうで、こんな暑けりゃ誰もボートに乗りはしないよな!と文句をつけて叫ぼうにも誰も聞いてくれないほど池は閑散(かんさん)としていて、池の中で自分のボートだけが浮いているのでした。

池面に反射した日光が痛い感じで顔に突き刺さって来て、こりゃ相当日焼けするなと思いつつ、こういう状況を自分が望んでいたことを再確認し、わざわざ持ってきたカメラの三脚を立てたのでした。最初自分の前にカメラを立てて撮影したのですが、よくよく考えると手漕ぎボートの帆先は自分の背中側にあって、帆先が進んでいる画像が欲しかったので、カメラを背中の後ろに持ってきてボートを漕いだのであります。その時自分の重心がズレちゃって思わずボートが転覆しそうになってしまったのですがなんとかのりきり、やさしそうなお兄さんが待つ乗り場に帰って来たのでした。

ボートから上がると、お兄さんから「漕ぎ方、なかなかのものでしたよ!」と言われ、なんだか喜んでいいのか?悪いのか?微妙な感情が沸き起こったのですが、これもいい経験だと思い、帰り道の途中、昔よく食べたパン屋がいまだに開いていたので、そこのたまごサンドを買って家に帰って来たのでした。

今まで、いくつかの動画をかなり力を入れて作ってきたのですが、制作のために外にロケに行くなんてことは初めてで、撮影ロケって結構楽しいと言おうか、旅行もそうなのですが、目的のない外出ほどつまらないものはないと言おうか、やはり人間は目的があると、それが実現しようがしまいが、それに向かって一生懸命行動するので、その汗かきが楽しいのだろうなと思うのでした。

そして次の日、今度は家の中でメインの唄のカットを撮影したのです。前回から顔を撮る場合は、その前に髪をとかし、無精ひげをそり、鼻毛を切り、リップクリームを塗るように注意を払うようにしています。(笑)いかに普段の自分が外見を何も気をつけていない性格だと白状しているようなものなのですが、やはり自称白髪アイドルなので動画を撮る場合は気をつけないといけない。

今回の唄カット部分はなんと上半身(じょうはんしん)裸(はだか)なのであります。(笑)そんな誰がじいさん手前の裸を見たいかよ!と言われてしまいそうなので乳首は出していません。肩から顔にかけてのアップになっています。微妙に隠すところなどはさすが白髪アイドル!まあ、こんな感じでなかなかセクシーとまでは行きませんが、がんばって唄ってます。

ギターを弾いているアップしたカットでは、よく見たらギターが余りにも手垢(てあか)で汚いので、雑巾で拭(ふ)き直し、あらためて撮影しなおしました。”熱帯夜”の動画を作った時の失敗が、こうした部分で活きていると思います。納得できないカットは、もう面倒くさいけど、がんばって撮り直すべきです。

こうして出来上がったのが今回の、”今”の動画です。

見てみませんか!?そして聴いてみませんか!?肝心の曲について話すの忘れていましたが、時間があれば次回、難しようであればいずれお話することもあるやもしれません。その時をお楽しみに。

「今」動画

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音楽配信やってます。spotify、アップルミュージック、ユーチューブミュージック、ラインミュージック、アマゾンミュージック等でも聴けます。作品を通して聴いていただくのが一番のお勧(すす)めです。CDも販売中。

chu!chu!chu!(チュ、チュ、チュ)

青空なのに雨が降ってきたりして、今日は変な天気だ。あいかわらず今年の夏は暑い。ただ夏は暑いもので、冷夏と言われる暑くない夏もたまにあるが、いざそうなってしまうとなんだか物足りなく感じてしまうことも確かだ。今まで創ってきた自分の曲を見渡してみると結構、夏を感じる曲がたくさんあることに最近気づいた。夏は四季の内(うち)の一つの季節に過ぎないのに、なんだか夏の曲が全体の四分の一どころか半分以上がそうなのではなかろうかと思ってしまうくらいある。

そうした夏曲の内の一曲を今回紹介しようと思う。”chu!chu!chu!(チュ、チュ、チュ)”という曲だ。前に何度かこの曲について書いた思い出があるのだが、今回あらためて書こうと思ったのは、実はこの曲の動画を作ってしまったのだ。笑 なぜ動画を制作したのかと言うと、一月(ひとつき)ほど前から「月」というアルバム作品10曲をストリーミング配信し始め、今までの経験上、動画を制作した曲の方がアクセス数が多くなるという傾向が出ていたので、時間があればなるべくこの10曲の動画を創ってみようと考えたのである。その第一弾が、このブログの何回か前に書いた”熱帯夜”という曲で、”chu!chu!chu!(チュ、チュ、チュ)”はその第二弾ということになる。

“chu!chu!chu!(チュ、チュ、チュ)”の歌詞の内容を簡単に触れると、主人公は私の曲にしては珍しく女の子で、その女の子がダーリンにチュウをせがむという曲になっている。笑 チュウは唇(くちびる)の接触で、同じ唇(くちびる)で何か違う接触が無いか?と考えたところ、食べ物があった。口づけ以外に唇(くちびる)を通して人は物を食べるのである。チュ、チュ、チュに合う、物を食べる時の擬音語が何か無いか?と思い浮かべたのがラーメンであった。ラーメンをすする時チュル、チュル、チュルという擬音語を使う。そうか!これで韻(いん)を踏めるではないか!と、閃(ひらめ)き、こうなったら麺(めん)関係で歌詞創っちゃえ!と無理やりこじつけたのが、そーめん、そば、うどんなのであった。笑

よくよく考えると、そーめんやうどんを食べる時の擬音語はツル、ツル、ツルが普通だろうし、そばだとズル、ズル、ズルが日本人にとってはピッタリの感覚なのだろうが、もう全部一緒だと思い、麺(めん)のすすり方(かた)をすべてチュル、チュル、チュルに統一させてやった。笑 この手法では、扇子(せんす)でそばやうどんのすすり方(かた)を繊細(せんさい)に表現する落語家の真打(しんうち)には自分はなれないであろうな。笑

さておき、こうしたラーメン、うどん、そばといった麺類は大概(たいがい)、夏の時期に食べたくなるものであって、特に暑い昼間などは自分なんかはほとんど麺類一色という感じになってしまうのだが、みなさんはどうだろうか?前にニュースで夏に麺類を食べたくなるのは、暑さに筋肉が弱ってしまって、それで、人は喉(のど)越しのいい麺類を食べたくなるのだと、話が本当かどうかはわからないが聞いたことがある。

ともあれ、チュ、チュ、チュとチュル、チュル、チュルで韻(いん)をふんでしまったからには夏の唄にしなければいけない!と思い、女の子は飽きっぽい性格なので、”夏が終わるまで飽きさせないで~!と続いて行くわけである。麺類ばかり出て来ると、また麺類か!飽きるよ!と思ってしまうのだが、つい、またまた麺類をとってしまうというこの夏の麺地獄とかけてる部分もあったりする。笑

このように”chu!chu!chu!(チュ、チュ、チュ)”は夏のこの暑い時期にピッタリの曲であるわけだ。なので動画を思い切って作ってみたのである。

一番の見どころは、チュル、チュル、チュルに合わせて、この麺類をすするカットで、リズムに合わせてラーメン、そーめん、そば、うどんと4種類、3カットずつ挿入(そうにゅう)している。素材は実はユーチューブショートで毎日上げている昼食で、麺類が出て来た時に食べる前にそのカットをすでに撮影していたのであった。笑

他にもいろいろな苦労があったのだが、それは置いておいて、この完成した動画をぜひ見て欲しいと思う。この夏の暑い時期にあった動画になっているはずだ。この動画を見ながら、ぜひ、ラーメンなり、そーめんなり麺類をすすってみてはいかがだろうか?

もう飽きたって!?そんなこと言わないで・・・。

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仕事帰りの道すがら

ギターとピアノ弾き語り曲を一人バンド化した作品第2弾が出来上がった。作品名を「仕事帰りの道すがら」という。今回はこの「仕事帰りの道すがら」について語ってみることにしよう。

全9曲入っていて、「銀座モード」という曲以外は基本ピアノ弾き語りで唄って来た曲ばかりだ。前の第1弾作品の「今夜」は結構、歌詞が明るめのものばかりが並んでいたのだが、今回は女にふられただとか、そんなのばかりの暗い歌詞が多い。笑

ピアノで弾き語る方が、ギターで弾き語るよりもなんだか感情が叙情的になると言おうか、自分の世界に閉じこもり気味になると言おうか、上手く説明できないが、自分とすれば、ギターで弾き語るよりもピアノで弾き語る方が好きなのは確かだ。鍵盤の方がわかり易く目で音楽を追うことができるからなのかもしれない。なのでピアノ弾き語りでやって来た曲を中心にした今回の作品は前回よりも音楽的にも難解なものが多くなっている。

自分の心を正直に話せば、自分の思い浮かんだ曲想を鍵盤でたどると、12音で表せない部分があって、それをどう表現すればいいのか若い頃さんざん悩んで来た。それでああでもないこうでもないとコードを微妙に変えたりして、余計おかしくなったりもしたのだが、笑 自分なりの、その結論が今回の「仕事帰りの道すがら」という作品だと思っている。ちょっと大げさな表現だが、自分はこの作品を創るために生まれて来たのだ。

ここまで言い切っている割には、誰も聴いてくれないという情けない状況と言おうか、自分の才能が無いだけなのか、わからないのだが、とにかく、この作品が私の人生のひとつのゴールでもある。鍵盤上で表せない音があると、酔っぱらった時、家族に話すと、何をわけのわからないことを言ってるんだと怪訝(けげん)な顔をされたりもするのだが、12音ですべての音が解釈できると思っている音楽家の人たちはどこか慢心している。人間のこころはそんな簡単なものでは無いと思う。

そして、自分がこの作品に込めたものと言おうか、いや、無意識の内に表れて来てしまったと言ってもいいのかもしれないが、この作品の最大の特長が挫折感だ。この「仕事帰りの道すがら」というタイトルソングはまさに私の人生の挫折の唄なのである。

若い頃から自分にとって、世間一般で言う、いい学校に入ったり、いい会社に入ることは、心の底ではどうでもよかった。当然、受験勉強で落ちたり、面接試験で何度も落っことされたりもしたのだが、そんなことどうでもいいのだ。そんなことが自分のこの世に生まれて来た挫折感に繋(つな)がってはいない。そんなことより一人の女の子にふられたことがショックだった。肩書やお金より、愛がとぎれてしまったことが何よりもショックだった。

大人となった今から思えば、そんな純粋な愛や恋があるはずもない、どんな純愛もこころの裏にはいろいろなものが隠されていたんだなと感じたりもするのだが、当時の自分はただ、ただ、自分の人生の前を見ていた。そんな自分に、”甘いんだよ!”と現実を突きつけられた瞬間だった。声を失い、一晩中、安アパートの中で大泣きした。腹の底から泣いてしまい、大人となった今でもたまに悲しいTVドラマを観て泣いたりもするのだが、そういう泣き方と次元が違うと言うか、情けないくらいに泣いてしまったのである。

その時のこころの景色を「仕事帰りの道すがら」で唄っている。「仕事帰りの道すがら」から聴こえて来るのは、時間が経(た)った今でも、ものすごい現実への絶望感と言おうか挫折感で、当時の自分の抱えていた重たい、、、何だろう?荷物なのか?何なのか?説明のつかない重たさに、とうとうつぶされてしまったと言う感じか?変えることができない突き付けられた現実に対して、自分の力が及ばないという無力感、、、ともあれこの曲を思いついた時、自分はこの唄を求めていたのだと思った記憶がある。

自分の人生を物語として語ると、もう物語は後半にさしかかっている。ギターやピアノで弾き語って来た「今夜」、「仕事帰りの道すがら」、そしてもうひとつ作品が残っているのだが、こうした曲群はみんな若い頃創った唄で、今から思えば、歌詞は若気の至りにしか聞こえないのだが、いまだに新鮮に唄うことができる。若い頃の方が、何かに向かって真剣に生きて来ているからだろう。

そして歳(とし)をとった自分が、昔の若い頃の自分に向けて言えることは、「仕事帰りの道すがら」で唄っているような絶望的な挫折感は、当時は涙にくれたのかもしれないが、その後の自分の人生に大いに役に立っているよ!ありがとう!という感謝だ。本当の挫折感は人を強くする。なぜならそれ以上落ちるところが無いからだ。

できれば挫折なんて誰もしたくは無いのだろうが、誰もが結局は人生の内で1回か2回はするのだろう。それが普通なのだと思う。そうした挫折を経験したことが無いのかな?と思われるような大人の人にもたまに出会ったりもするのだが、なんだか、かえって哀(あわ)れな人だなと、不思議とこころの中で思ったりもするのである。

「仕事帰りの道すがら」の完成形は、そうした挫折を経験したことがある人には説得力がある唄に仕上がっている思う。機会があればぜひ聴いてもらいたいと思うのだが、作品としてCDにまとめただけで、ストリーミングサービス等で無料で聴いてもらう予定にはなってはいない。今のところピアノ弾き語りだけは聴けるようになっているので、ぜひそちらの方でまずこの曲を聴いていただければと思う。それで気に入っていただけるようであれば、どこかの機会でまた耳にすることが無きにしも非(あら)ずといったところで今回の話は終了させようと思う。笑

最近、あの世に、こうした曲を持って行こうと思っていたのだが、お金と同じで持っていくことが出来ないことに気づいてしまって、次回はそんな話をしてみようと思っている。

”仕事帰りの道すがら”ピアノ弾き語りダイジェスト

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音楽配信やってます。spotify、アップルミュージック、ユーチューブミュージック、ラインミュージック、アマゾンミュージック等でも聴けます。作品を通して聴いていただくのが一番のお勧(すす)めです。CDも販売中。